作品ポイント
- 『サラバ!』直木賞作家の5年ぶりの長編小説
- 加害者でもあり被害者でもある、自身を見つめ直すことのできる一冊
- 若者の貧困、虐待、過重労働を描いた「再生と救済の物語」
あらすじ
15歳の時、高校で「俺」は身長191センチのアキと出会った。 普通の家庭で育った「俺」と、母親にネグレクトされていた吃音のアキは、 共有できることなんて何一つないのに、互いにかけがえのない存在になっていった。大学卒業後、「俺」はテレビ制作会社に就職し、アキは劇団に所属する。しかし、焦がれて飛び込んだ世界は理不尽に満ちていて、少しずつ、俺たちの心と身体は壊れていった……。思春期から33歳になるまでの二人の友情と成長を描きながら、 人間の哀しさや弱さ、そして生きていくことの奇跡を描く、感動作!
新潮社HP
レビュー
- 文章力
- 5
- 構成力
- 4
- 訴求力
- 5
- 時代性
- 5
- 没入感
- 4
ここがスゴイ!
若者の貧困、虐待、過重労働の過酷さを描ききる筆力
2018年時点の厚生労働省発表による日本の「子どもの貧困率」は13.5%。子どもの7人に1人、特に母子家庭など大人1人で子どもを育てる世帯のおよそ半分が貧困状態にあります( 2020年7月17日付 日本経済新聞 より)。お金がなければ心は満たされず、生活も荒みます。自分ひとりだったら、もっと楽な暮らしが出来たのに。十分な教育環境を子どもに与えられないことへの罪悪感。子どもから責められているような気持ちになって、虐待を引き起こすケースもあります。そして、子どもがそれを自分のせいだと思い込んでしまうことも。
母親から逃げることも出来た。母親の手を押さえることも、母親を殴り倒すことも、殺すことだって出来たはずだった。アキの体は母親の体よりゆうに大きく、彼女は度々それを恐れたのだ。でも、母親が怒りを表明すると、アキは動けなくなった。
西加奈子『夜が明ける』p.100
「馬鹿にしてんの? なんかさぁ、なに? 誰のおかげで高校行けてると思ってんの? 言っとくけど義務教育は中学までだからね? 義務でもないのに、あんたを高校に行かせてあげてんだからね?」
「子どもの貧困」と一口にいっても、その実情はまったく異なります。本作は、貧しさに喘ぐ子どもたちそれぞれの家庭のあり方を仔細に描き出し、深刻な社会問題として読者に強く訴えかける力を持っています。
負の感情が噴出する会話のリアルさ
憎悪、嫉妬、憤怒……、この物語ではさまざまな「負の感情」が行き交いますが、なかでもずば抜けてリアルなのが「俺」が勤めているテレビ制作会社での会話。過酷な労働環境下での「落伍者」への嘲笑、上司からのパワハラ。あまりの酷さに目を覆いたくなる一方で、こういった会話が日常的にされていた(そしていまもされているかもしれない)ことを確信します。
「一番笑った辞め方はさ、料理番組のチーフADだよ。朝スタッフがスタジオに行ったらかぼちゃに『ヤメロ』って。」
西加奈子『夜が明ける』pp.149-150
「やめろ?」
「おかしいだろ、辞めるのは自分なのに。」
「怖いっすね。かぼちゃに?」
「しかも書いてたんじゃないんだよ、彫ってたんだよ。キリかなんかで。」
「めっちゃ手が込んでんじゃないすか!」
「だろ? 逆に根性あるよな。」
「ほんと。そんな根性あったら続けられんじゃないか、て。」
「マジで使えねぇ。」
西加奈子『夜が明ける』pp.231-232
「すみません。」
「すごいよな。すみません、て言いながらムカついてる感絶対隠さねぇんだから。どこまでも自分の無能さを認められないんだよな? いるよな、そういう奴。この仕事のこともバカにしてんだろ? こんなクソ仕事って、そう思ってんだろ? なんだっけ? 本当は高尚なドキュメンタリー撮りたいんだっけ? その夢持ったまま、40、50になるんだろうね、怖いわ、俺。」
「すみません。」
「お前さ、何? タレントか何かのつもり? 違うか、この番組のディレクターか、プロデューサーなんだっけ? もしかして革命家気取りですか? なんでそんな偉そうでいられんの? それがすみませんっていう態度?」
読んでいるだけで苦しくなる刺々しい言葉の数々。彼らが決して、生まれついての悪人ではないからこそ余計に胸に迫ります。生活が苦しくなったり、自分の立場が追われそうになったり、睡眠時間が極限まで削られたり――、自分自身に余裕がなくなったとき、人生に投げやりになったとき。わたしたちが彼らのようにならない保証はどこにもないのです。
ここはイマイチ…
負の男性性を放棄した後に残るジェンダーロール
「俺」とアキ、二人の男性主人公の成長を通して本作は「負の男性性」からの脱却を描いているように感じます。そして、貧困問題が決して「自己責任」ではないということ、本来は公的な施策で解決しなければならない問題であるということ。特に前半、「俺」の面倒を見てくれている中島さんという中年男性の発言には目に余るものがありました。
「いいぞ、男は酒が強くなけりゃ」
西加奈子『夜が明ける』p.87
「社会に負けちゃダメだ。引きこもりなんて、社会の敗北者がすることだ。」
西加奈子『夜が明ける』p.94
それが、最後には(詳しくはネタバレになるので伏せますが)次のような発言によって、「俺」は救われます。格好悪くても弱くてもいい、助けを求めてもいいと考えられるようになります。
男だからとか、我慢しなきゃとか、泣き言言うのは格好悪いとか、そんなこと、金輪際捨てちゃってください。何回も言うけど、今何年ですか? 2016年ですよ。
西加奈子『夜が明ける』p.380
本作が単行本として刊行されたのは2022年。物語の時間から6年が経過したいま、彼らに問いかけられているように感じます。日本は、わたしたちは、変わっていますか、と。
ただ……、上に引用したセリフは女性のものです。主人公の「俺」を救う言葉をかけるのが女性であることに少し引っかかりを覚えます。概して、本作に出てくる女性(特に遠峰、森)はいつも男性をケアする立場にあります。結局、そういった性役割はかたちは変われど根本的には変わらないのでしょうか。この問題は、アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した映画『ドライブ・マイ・カー』にも感じました。自身の傷つきを認められない男性主人公・家福と、女性ドライバーのみさきが、車中で長い時間を過ごすなかで、徐々に心をひらき、互いの支えになっていくというメインストーリーには納得感があるのですが、映画内の『ワーニャ伯父さん』の劇中、ソーニャ役の耳のきこえない女性が、ワーニャ役の家福をやさしく抱きしめるシーンがあります。かなり印象的に尺がとられているシーンなのですが、なぜこの女性が家福のケア役割を象徴的に担っているのか……。このあたりの考察は、杉田俊介「『ドライブ・マイ・カー』が「自分の傷つきに気づきにくい男性」に与えてくれる “大切なヒント”」 が詳しいのでぜひ読んでみてください。
次作、これを書いてください!
読み進めるのが苦しくなるほど、いまの深刻な社会の実情を描き出している本作。ストーリーとしてはつながっていなくても、この物語の「続編」と捉えられるような、政治家を志す若者を主人公とした小説を書いてほしいです。貧困や虐待は、その一家庭の問題ではなく「社会」問題。本来ならば、国が責任をもって、誰もが人間らしく暮らせる社会の仕組み作りをしなければならないはずです。けれどいま、本作に登場する「あんべたくま」のような、頼りにならないどころかむしろ社会を悪化させている政治家も少なくありません。本作を書き上げた作者だからこそ紡ぐことのできる、未来の物語があるのではないかと感じています。